言うまでもなく、ブニョルのトマト祭り「ラ・トマティーナ」は、スペインで最も知られている祭りの一つ。バレンシアの街で、毎年8月の最後の水曜日に行われるこの祭りには何万人もの観光客が訪れ、お互いにトマトをぶつけ合う。 赤く染まるこの祭りは今年で72年目を迎た。
この夏の風物詩の有名なお祭りは、その発祥を1945年に持ち、それまではこの日にヒガンテス(巨人の人形)やカベスードス(頭でっかちの人形)等がパレードを行っていた。トマティーナの公式ホームページによると、二人の青年がパレードに参加しようとしたとき、行列に並んでいた参加者を勢い余って倒してしまった。
これに激怒した参加者は、通りにいた参加者をだれかれ構わず殴りかかり、その後武装した喧嘩に発展。 たまたまそこに、野菜を売っていた出店があり、そこにあったトマトを投げ始めた。 結果、これが歴史上はじめてトマトの戦いが起こったときであった(まだ名前はついていなかった)。 この騒ぎを収めるために、武装警官らが仲介に入り逮捕者がでた。
この騒ぎの次の年、1946年8月最後の水曜日、若者たちが自宅からトマトを持ち寄り自発的に戦争を再開。 この時も警察は再度逮捕拘留しなければならなかったが、トマティーナへの導火線に火はつけられた。
その後、数年にわたってトマトを投げつけたことによる事件が発生、地方当局によって祭りの実施が禁止されたにもかかわらず、結局再開に至る。
この"祭りの実施に関する"戦いで最も注目すべき出来事は1957年で、当局は再び祭りの禁止を言い渡し、それを破った場合には懲役刑が課せられると発表した。 これをうけブニョル市民らは大量のトマトを棺桶に入れ、音楽と共に葬儀行進を行う「トマトの葬式」を行った。
この葬式が功を奏し、トマティーナが合法化。 1959年以来、公式の祝日として制定された。
1975年、サン・ルイス・ベルトランの軍隊がこの祭りを主催、今まで各家庭からトマトを持ち寄っていたのを、今度はこの軍隊が用意するようになる。 5年後の1980年、ブニョル市役所がこの祭りを宣伝、主催することを決定。 この時期には既に、チルチェスの村から用意されるトマトは10万キロを超えていた。
この祭りがスペインに知り渡るきっかけとなったのは、公営放送TVEの”一週間の情報”という番組で、1983年に放映、レポーターはハビエル・バシリオ氏だった。
その後毎年このブニョルで行われるトマティーナは有名になり、今年の公表されているデータによると、参加者は世界各国から来西する。 国別比率ではスペイン人(18%)、英国人(14%)、日本人(10%)、インド人(9%)、オーストラリア人(6%)、南米人(5%)となっている。 2002年には国際格好名所祭りに指定された。
ソース
La Tomatina: Historia de una fiesta teñida de rojo vivida en directo
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州独立旗を投げてスペイン国家警察を倒し、空飛ぶ憲法155条を避けながら逃亡先のブリュッセルから州都バルセロナを目指せ!
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